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あわび さざえ 伊勢海老 専門店 有限会社 三浦水産

☆按針祭☆

伊東で有名な祭り『按針祭』は毎年8月10日に海岸線で大々的に行われ、国道135号線が歩行者天国になり、13000発の花火が夏の夜空に華麗に舞います。

と言う事でせっかくですから、行ってきました。仕事の都合で最後しか見れませんでしたが、クライマックスは盛り上がりました!!最高です!!

ここで、按針祭についてお話します。

この祭は『三浦按針(ウィリアム・アダムス)』が伊東の松川河口で日本最初の. 洋式帆船を建造したことを記念したお祭りで有名です。

彼の生い立ちを少し調べましたので書きます。

※三浦按針(ウィリアム・アダムス)

1564年9月24日、イングランド南東部ケント州で生まれ、船員だった父を亡くして故郷を後にし、12歳でロンドンへ渡り船大工へ弟子入りする。

造船術より航海技術に興味を持ったアダムスは奉行の歳月を終了した後、1588年英国海軍に入り貨物補給船の船長としてアルマダの海戦に参加。翌1589年にはメアリー・ハインと結婚し、娘と息子を設けた。

1600年4月19日豊後臼杵に漂着後すぐに拘束された。しかし初代将軍徳川家康がアダムスら乗組員を引見する。幾度との会話に家康は興味を持ち、彼らを気に入り誤解を解き江戸(城地)へと招く。

江戸でアダムスは家族を想い帰国を願い出たが叶う事はなかった。代わりに家康は彼に不自由ない生活を与え、慰留し通訳を任せたり、時には助言を求めたりもした。

帰国を諦めつつあったアダムスは1602年お雪(マリア)と結婚し娘、息子を設けた。

更にはアダムスは若き頃の船大工の経験を買われて、西洋式帆船建造を要求されるが、昔の事と初めは固辞したものの、受け入れざるを得ず、静岡県伊東市で日本初、造船ドックを設け80tの帆船を建造、次には120tもの船を完成させた。

この功績を賞した家康は更なる慰留の意味もあって、250石取りの旗本に取り立て、相模国逸見に采地も与え、また『三浦按針』の名乗りを与えた。

三浦→【三浦半島】   按針→【彼の職業である水先案内人の意】

異国人でありながら日本の武士として生き抜いた人物

なんとも奥深い、そして彼の心境が身にしみて伝わるような感じがしました。家族と離れ異国である日本へたどり着き、知識や技術があるがゆえ、日本では素晴らしい功績を残してくれました。しかし彼は本当は何を望んでいたのでしょうか…。

伊東はこの彼の存在をいつまでも忘れる事ないよう8月10日は按針祭を行い続けていって欲しいものです。そして彼の功績や生い立ちをもっと多くの人々に認識してもらいたいとしみじみと感じました。

135号線沿いには堂々と三浦按針と建造した帆船の像が聳え立っております。